歴史★ユタ州の歴史

アメリカ地図

歴史★ユタ州の歴史

ユタ州の歴史
アメリカ・ユタ州・旅行・留学・情報サイト
トップ>ユタ州の歴史

ユタ州になる前、この地域には14世紀頃まで、プエブロ・インディアンやアナサジ・インディアンが住んでいましたが、彼らが謎のうちに消滅した後、ユート・インディアンやナバホ・インディアンが住み始め、現在に至っています。そして17世紀の中頃より、カトリック系のスペイン探検隊や、メキシコ人がこの地を訪れるようになり1820年代には毛皮商人がやってきました。

ユタ州の歴史はアメリカ西部開拓の歴史です。西部への移動はゴールドラッシュに象徴される一攫千金を狙った人々を含めた、新天地に夢を追い求めた人々の歴史でした。その中にあって唯一「宗教の自由」を求めてアメリカ西部に新天地を求めた人々がいました。それは一般に「モルモン」と呼ばれている末日聖徒イエス・キリスト教会の開拓者たちでした。

彼等はニューヨークを追われ、オハイオ、ミズーリと西へ西へと移動しました。イリノイ州ではノーブー(「美しい」の意味)と呼ばれる当時ではシカゴよりも大きな都市を築き上げたのも束の間、そこでも暴徒達から迫害に遭い、とうとうロッキー山脈を越えて今のソルトレーク盆地にやって来たのです。近代アメリカ史を学ぶと西部開拓史に大きく貢献したモルモン・トレイルが出てきます。これは宗教の自由を求めて幌馬車や手押しのワゴン等でソルトレーク盆地に入った数万のモルモン教徒が辿った道なのです。
多くのキリスト教派のある中でも正統派のキリスト教として知られ、現在世界中に1200万人を超える教会員を持ち、ユタ州ソルトレークシティーに本部が置かれています。

最初に末日聖徒たちがソルトレーク盆地に入ったのは1847年の夏でした。大きな塩水湖のある全くの不毛の地でブリガム・ヤングという指導者の下に町造りが始まりました。当時既に少数の毛皮商人がソルトレイク盆地に出入りをしていたのですが、誰一人としてここに定住しようとした人はいませんでした。この地がいかに定住に向かないかを知っていた当時の毛皮商人の一人、ジェイムス・ブリッジャーは、ソルトレーク盆地に向かって進む末日聖徒らに「あの盆地でもしトウモロコシが一籠採れたら千ドルあげよう」と言ったそうです。当時のお金で千ドルは破格の額でした。当時の模様が描かれた絵を見るとジェイムス・ブリッジャーの言った事には納得がいきます。本当に全くの荒地だったのです。しかし、末日聖徒たちはその不毛の地に灌漑を引き、作物を植え、木一本もなかった荒涼とした地に植樹をし定住を始めました。

当時の文献を読むと開拓者の苦労話が多く記されています。定住が始まったその翌年、空が真っ暗になるほど無数のイナゴの大軍に作物が襲われたとあります。苦労して作った作物がイナゴに食べられていく有り様になす術をなくした開拓者達は断食と祈りをして神に助けを求めたそうです。すると遥か西から無数のカモメの群れが現れ、そのイナゴを全滅させ窮地を救った話などは興味をそそります。ちなみにユタ州の州鳥は開拓者達を救った「カモメ」です。ロッキー山脈の中に「カモメ」を州鳥にする州があるなんておもしろいとは思いませんか。
ブリガム・ヤングは指導の下、徐々にソルトレークの南北に開拓の手が伸ばされ、1896年にアメリカ合衆国の45番目の州になりました。

最初の開拓者が入ってから150余年、現在ソルトレークシティーの北の小高い丘に登って街を見下ろすと、緑に包まれたそれはそれは美しい街並みを見渡す事ができます。奇麗に整備された碁盤の目の街並みは開拓者達の涙ぐましい努力と犠牲、そして彼等の先見の明による賜物です。「不毛の地」からソルトレークシティーは見事に「緑の地」に変身したのです。

2002年2月、このソルトレークシティーで21世紀最初のオリンピックが開催されました。ソルトレークシティーは過去の冬季オリンピックが開催された都市では最も大きな街で、押しも押されもしない国際都市に成長したのです。
末日聖徒の歴史はソルトレークシティーの歴史であり、ユタ州の歴史でもあります。
(参考資料:アメリカ西部5州政府観光局 セミナーテキスト)

                     



ユタ州章








■トップページ
ユタ州よいとこ一度はおいで!


■ユタ州の歴史

■ユタ州の基本情報

■ソルトレークシティー

■ユタ州の国立公園

■ユタ州はジュラシックパーク
  ★ユタ州は恐竜の世界

■ユタ州留学のススメ!
 ★ユタ州の大学情報
 ★ユタ州の語学学校情報
 ★アメリカ・ビザ情報

■ユタ州地図

■プロフィール






  

Copyright(C) All RIghts Reserved.